以前のアダモちゃんねるの「史実アダモステ」を再監修。アダモちゃんこと島崎俊郎の古今をペイ太郎が暴きます

1979年〜1991年? ■ヒップアップの悲劇(その2 プロとしての自覚がなかった)

悲劇のもうひとつは、プロとしての自覚がなかった。忙しくて、人気者になって、売れて嬉しかったのもあって、毎晩どんなに遅くても遊びまくりました。ギター持って、酒飲んで何軒もはしご。だからいつも二日酔いで仕事をしたそうです。楽屋では3人死んでいて、本番でワーッとやって、移動しているときも死んでいる。これではやっぱり、いい仕事はできなかった。テレビに出ているプロのトップクラスは才能で拮抗しています。そんな中で自分がベストではない状態。これでは太刀打ちできませんでした。