以前のアダモちゃんねるの「史実アダモステ」を再監修。アダモちゃんこと島崎俊郎の古今をペイ太郎が暴きます

1982年 ■利益率ナンバー1タレント

ヒップアップはテレビ出演の合間を縫って積極的に営業をしました。年間100本以上もこなしていたそうです。相当お金ももらっていたと思いますよね?ところが、最初の1年は給料制の月5万円。最初は安月給で、実績を上げていって、給料制から歩合制に変更して、実入りがよくなっていくそうです。そう考えると一発屋といわれる人たちは歩合制になる前に消えていく・・・結構苦労されてるんですね。

ヒップアップはデビュー後、一気に売れっ子になったので、当時よく言われたのが「渡辺プロで利益率ナンバー1タレント」。「沢田研二は入ってくる金もすごいけど、でていく金もすごい。おまえらは入ってくる金は沢田研二ほどじゃないけど、出て行く金は15万円(5万円×3人)。ギター1本あればどこでもいける。実質利益率ナンバー1だ」と言われている時期があったそうです。