二杯目 ルーツ


 カフェだからって缶コーヒー「roots」のお話ではありません。今日は島崎さんに、どんな過去があって音楽が好きになったか探ってみよう。

 「人を笑わすことと音楽が大好きだった―」島崎さんは高生時代の自分をこう振り返る。島崎少年が高校入学したのは1970年。この頃のミュージックシーンと言えば、歌謡曲に加えて新勢力としてフォークが沸々と若い心をグッと掴んできた頃である。

(聴き入ったのは井上陽水、吉田拓郎あたり。特に『氷の世界』(1975年)は、「テープが擦り切れるほど」いたくお気に入りで、後の音楽活動に影響する。)

島崎さんがギターを抱えたのは高校1年生時。きっかけはある大学生からコード進行をちょこっと教わったことから始まる。一瞬でギターにのめりこんだ島崎少年は、それを機に作曲を始めたという。京都の実家の窓の外を眺めながら作った「国道9号線哀歌」という曲が作曲デビューとなる。島崎少年の高校時代はサッカーに没頭しつつも、音楽を趣味としていたんですねぇ。

音楽にハマった高校時代ではあるが、本腰を入れたのはもっと先のお話。卒業後は、芸人を目指して邁進していくからである。(この辺りはペイ太郎さん「史実アダモステ」を見てみよう!)